コロナは最悪3年で収まるのか
コロナは、スペインインフルエンザ(スペイン風邪)の再来と言う人がいます。
あんまりスペインインフルエンザの経過を知りませんでした。
国立感染症研究所 感染症情報センター
スペインインフルエンザ(1918-1919)
患者数は世界人口の25-30%(WHO)、
あるいは、世界人口の3分の1(Frost WH,1920)、約5億人(Clark E.1942.)で、
致死率(感染して病気になった場合に死亡する確率)は2.5%以上
(Marks G, Beatty WK, 1976; Rosenau MJ, Last JM, 1980.)、
死亡者数は全世界で4,000万人(WHO)、
5,000万人
(Crosby A, 1989; Patterson KD, Pyle GF, 1991; Johnson NPAS, Mueller J, 2002.)、
一説には1億人(Johnson NPAS, Mueller J, 2002.)ともいわれています。
日本の内務省統計では日本で約2300万人の患者と
約38万人の死亡者が出たと報告されていますが、
歴史人口学的手法を用いた死亡45万人(速水、2006.)という推計もあります。
スペインフルの第一波は1918年の3月に米国とヨーロッパにて始まりますが、
この(北半球の)春と夏に発生した第一波は感染性は高かったものの、
特に致死性ではなかったとされています。
しかしながら、(北半球の)晩秋からフランス、シエラレオネ、米国で
同時に始まった第二波は10倍の致死率となり、
しかも15~35歳の健康な若年者層においてもっとも多くの死がみられ、
死亡例の99%が65歳以下の若い年齢層に発生したという、
過去にも、またそれ以降にも例のみられない現象が確認されています。
また、これに引き続いて、(北半球の)冬である1919年の始めに第三波が
起こっており、一年のタイムスパンで3回の流行がみられたことになります。
もちろん当時は抗生物質は発見されていなかったし、
有効なワクチンなどは論外であり、
インフルエンザウイルスが始めて分離されるのは、
1933年まで待たねばならなかったわけです。
このような医学的な手段がなかったため、
対策は、患者の隔離、接触者の行動制限、個人衛生、消毒と集会の延期といった
ありきたりの方法に頼るしかありませんでした。
スペインインフルエンザは、
1918年3月、1918年秋、1919年1月の3回の流行を経て、
世界で5億人の患者、5000万人の死者、
日本では、2300万人の患者、38万人の死者
日本の死亡者のピークは,1918年11月と1920年1月の2回
ワクチンも、抗体血清も、人工呼吸器も無かった時代に、
患者の隔離、接触者の行動制限、個人衛生、消毒と集会の延期で、
乗り切ったと考えると、
出口の見えないコロナの未来ですが、
2020年3月、2020年秋、2021年1月の3回流行して、
2020年11月と2022年1月の2回に死者のピーク、
ワクチンも、治療法も確立出来なくても、
3年掛かって乗り切れるかも知れない、
最悪でも、そんな淡い期待をしたいです。